飯塚市議会議員「えぐち徹」のつれづれ日記

飯塚市議会議員えぐち徹の足跡です。

東北へ。第2日 〜名取市・岩沼市・山元町・丸森町〜

東北二日目です。今日のスケジュールはコチラ。
8時30分出発→9:00仙台東IC→9:20名取IC→9:30〜10:00名取市閖上日和山にて視察)→10:20仙台空港→10:30岩沼市二の倉(千年希望の丘視察)→11:00岩沼IC→11:20山元IC→11:30〜12:00山元いちご農園視察→13:00丸森町視察



名取市閖上地区


最初の訪問地、名取市閖上地区でご説明頂いたのは、地元の語り部閖上復興便り編集長の格井直光さん。

名取市閖上地区日和山閖上復興だより、編集長格井さんからお話を聴かせて頂きました。
この閖上地区は、ちょっと高い丘と言えるのも、この日和山程度。あとは、ホントに平らな地区です。
また、3階以上の鉄筋コンクリートの建物も少なく、学校程度。そのせいもあり、被害は大きく、現在は、見渡す限り残っているのは基礎ばかりです。
震災当日は、地元中学校の卒業式だったそうで、午前中に式を終えた子ども達は、少し内陸へ遊びに行ったりして助かったとも言われます。格井さんのお子さんも卒業式を終え、遊びに行っていたそうです。
ここ日和山の松の木に引っかかって助かった人もおられるとか。
被害については、詳しくは、名取市のHPをどうぞ。
http://www.city.natori.miyagi.jp/soshiki/soumu/311kiroku/index

ただ、格井さんのお話で印象的だったのは、復興にあたり、被災者の方々の意見があまり汲み取られておられない様子であることでした。
少なくとも、格井さんはそう感じておられますし、お話を聞く限りでは,頷ける点が多くありました。
家を建て直すにしても、復興住宅に住むにしても、被災者のニーズとかけ離れていては、ムダなものを造ってしまいます。
復興を急がなくてはならないという行政の都合もわからなくはないですが、
本末転倒・主客転倒になってはなりません。



岩沼市 千年希望の丘

続いて、伺ったのは、岩沼市千年希望の丘です。ここ千年希望の丘は、私の母校である横浜国立大学の名誉教授の宮脇昭さんの提唱した「いのちを守る森の防潮堤」・「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」に連なる事業です。
一番上の二人のうち、男性は清渓セミナーの実行委員会委員長の坂本純治茨城県大洗町議、女性は実行委員会委員長代行の白井えり子愛知県日進市議。彼女は地域のNPOの一員として、ここ千年希望の丘の第一回植樹にも参加されています。白井さんからも説明頂きました。
また、階段部分には被災家屋の梁などの建材が使われていますし、植えられた苗木の側には植えた方の思いの書かれた札もありました。
 岩沼市千年希望の丘HP
 http://www.city.iwanuma.miyagi.jp/kakuka/040700/sennnennkibounooka.html
「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」設立会見
 



山元町 山元イチゴ農園



続いての山元町では、いちご農園に。
山元イチゴ農園では、岩佐隆さん(山元町議会議員)から説明頂きました。
一番上の右の写真の左の方は、今回ずっと案内頂いている元丸森町長の渡辺正巳さん、中央の方は山元いちご農園代表取締役社長の岩佐隆さんで、右の方は同農園の部長さんです。

山元町は、670名ほどが震災の犠牲に、また住宅5600戸のうち2200戸が津波で流されました。海岸線から3キロも津波が押し寄せてきたそうです。
津波は15.6mもの高さになったとも。
ハウスも流され、瓦礫で惨憺たる状況で、近くの女子高が遺体安置所になり、どう復興するか、悩む中で、4000人もの町民が流出。
130戸の農家のうち被災しなかったのは7戸だけ。しかし、農家の私達が町を出るわけにはいかないと決意し、事業を立ち上げた。
3万平米の苺用のハウスは総事業費は4億6千万円。国補助金は1/2。
また中段右の写真にあるようにヤマト福祉財団からの支援もあっている様子。
栽培方法も水耕栽培となり、露地栽培だったときと比べて働く方の腰の負担はかなり楽になったと言います。左下の写真は、太陽熱温水器。ハウスの暖房の燃料費削減に役立っているそうです。
販売形態も農協経由だったのを、自前に変更。また雇用も目的だったので少しでも雇用が増えるよう工夫しておられます。
この農園の取り組みを詳しく知りたい方はこちらへ
http://www.securite.jp/radio/?p=4813


丸森町
最後の訪問地は、実行委員会メンバーの住む丸森町福島県に隣接するこの町では食品等の放射線測定器(写真左下)が農産物直売所にもあります。私たち九州の日常とは違う世界がここにはあります。


これで、視察は終了。帰路につきました。チーム飯塚で南三陸に行ってから4度目の東北ですが、まだまだです。やれることってなんだろうと自問してしまいます。