飯塚市議会議員「えぐち徹」のつれづれ日記

飯塚市議会議員えぐち徹の足跡です。

クニのカタチ

国のカタチの未来が未だに見えない。国が地方をどのように考えているのかが、フラフラしていて未だに予測できないのだ。「地方の時代」、「地方分権の辞代」と言われる。しかし、現状は違う。中島玲子さん(あすばる館長・元杷木町町長)に言わせると、「地方の苦しい時代」なのだ。
国は、国の舵取りのミスのツケを、地方に廻そうとしている。これが、地方交付税の削減だ。また分権と言いながら、現実は、地方が本当に欲しい権限はあまり降りてこない。重要な権限は、しっかり国の官僚、政治家が影響力を残そうとしているのだ。


地方交付税について、ちょっと書く。地方自治体にも様々あって、高額の税を納める人が多く住み、また企業が多く集まって税金を多く納める裕福な自治体もあれば、お金をかけて教育した子ども達がどんどん都会に出ていって高齢化が進み費用が多くかかるようになった慢性的な税収不足の自治体、面積が広く学校や下水道、道路などを整備しようにもお金がかかってしようがない自治体など多種多様。
このような様々な自治体の家計(財源)を、最低限必要な分は保障しようと言う仕組みが地方交付税だ。これは、所得税法人税・酒税・消費税・たばこ税の一定割合を、地方自治体全体の収入として、お金の足りない自治体には、分厚く配分することによって、教育や福祉などの地方の暮らしに必要なお金を保障しようと言う仕組みだ。


しかし、国は、財布の中身が本当は厳しいのにやせ我慢をしてアクアラインを造ったり、景気回復のためと言って公共事業を増やしたりしてきた。そればかりか、国民年金の積立金を使ってグリーンピアを各地に建てたり、使われない漁港に補助金をじゃぶじゃぶ出したり、様々な放漫財政をして、借金を増やしてきた。そうして、国のお金がなくなり、孫子の代まで借金を先送りするようになって、「おっと、このままじゃ本当にひ孫やそのまた子どもからも借金しなければならない。もう無理だ!どうしよう!!使い込みがばれちゃう!」となって、地方に、「あんたの取り分にしていた、地方交付税も減らすよ!」と勝手に言っているようなものだ。


もちろん、地方にも悪い点はあった。国が言っているからと言って、無駄な施設を造ってきたのも地方だ。そして、国に補助金をおねだりしてきたのも地方だ。しかし、今までは、そうしないとならない現状があったのだ。健全財政を保とうとして、公共事業を押さえている自治体には、「そんなことしてたら、本当に欲しいと言っているこの施設の補助金もやらないぞ」と脅したり、一生懸命、赤字を減らしてきたら「じゃあ、あなたお金持っているから交付税もその分減らすねと努力が一見ムダに思えるような仕打ちをしたのだ。つまり、努力しない、言われるようにする脳停止状態の自治体を造ってきたのだ。

そんな状況に追い込んでおきながら、今になって、「地方の時代だから、地方は自立して自分達で稼いでやってくれ」と言っても、急に体質改善はできない。おねだりすること、依存することに体質が変わってしまっているのだ。これは、地方の知事や市町村長から議員、職員、住民に至るまで、染みこんでしまった。だから、何かあったら、「市役所に電話してさせよう。」となる。国から予算を取ってくる市長は良い市長だった。地域に市の予算を取ってくる議員は良い議員だったのだ。ただ、その行為が後で自分達の首を絞めることを予想していなかった。。。

確かに、もうそんな時代ではない。これだけの借金が存在している現在、今まで通りには行かない。地方だけでなく、国の赤字体質を直さないといけない。そのためには、地方も地方で努力しなければならない。

しかし、そのためにも、国には、「これから、この日本というクニは、こんなクニに、こんな社会になりますよ。こんな社会が理想だと思っています。そのために、地方の皆様にはこれだけの仕事をして頂きたいと思っています」と宣言してもらわなければならない。

そのクニのカタチが見えないと、地方はそれぞれ勝手にクニの未来のカタチを予想しながら、それにあわせて準備を始め、あるところでは全くチンプンカンプンの仕事をするかもしれない。

そんな、無駄なことをする余裕がこの国にはない。だからこそ、国にはその未来を示して欲しい。そしてそれをわかりやすく説明して欲しい。それなくして、地方交付税の削減は、ありえない。そして、本当の意味での分権を進めて欲しいと思う。


「神は現場に宿る。」

現場にこそ、真実がある。現場を大切にすることこそが、国を助ける唯一の道だ。現場に行かずに、現場の声を聞かずに何が出来るだろう。それこそ、現場を知らないで中央でものを決めてきたからこそ、今の惨憺たる日本がある。
そんな一番大切にされるべき現場。そんなまちづくりの現場である市町村、その市町村の仕事を私はずっとやっていきたい。