飯塚市議会議員「えぐち徹」のつれづれ日記

飯塚市議会議員えぐち徹の足跡です。

原発講座

今日は、昨日お邪魔した原発講座について。

今日の語り手は、堀江芳樹さん。1965年福島市生まれのシステムエンジニア
震災当時は東京都在住だったが、放射能のことなどを学ぶ中で危険性を感じ、現在は福岡へ移住されています。
そして、コーディネーター(聞き手)は清水功也さん。
以下は、私のメモを元に起こした昨日の記録です。参考になれば幸いです。

【堀江さん】「私たちは見放された」と思っている。皆そうだ。福島の中学生でさえそう思っているんだ。震災以降、「私たちにどうして欲しい?」とよく聞かれるが、私たちは「ただ知って欲しい」と思っているだけだ。「何をして欲しい」わけじゃない。

震災そして福島第一原発の事故以降、今まで知らずにいたことをものすごく後悔している。自分への怒りでいっぱいだ。若者世代はネットなどで放射能などの情報を知っているが、親世代は知らない。この世代間格差が親子げんかを引き起こしている。
「頑張ろう」と言って欲しくない。今でも頑張っているんだ。「冷やかしで良いから見に来て欲しい」と思っている。

今、一番かわいそうなのは子ども。仲良かった友達が自主避難できた子どもと家庭の都合でそのままの子どもに引き裂かれた。

ある家庭では、母に「避難しよう」というと、「私は行かない、あなたがしたかったらすれば。」と言う。そして「いや、置いていけない」というと、「じゃあ、放射能の話は一切するな!」と言う。県を挙げて安全、安全!という雰囲気。子どもが学校で給食を食べなかったら、「他の子と同じように給食を食べなさい」と言う教師さえいる。福島では、そんな雰囲気が蔓延している。
言論の自由さえ疑わしい状況だ。

福島では病気で亡くなる人が増えている。娘の近くの高校では、2人が心筋梗塞で亡くなった。70代の方も含め亡くなったという話をよく聞くようになった。

【聞き手】堀江さんは、僕と同じく関東からの避難ですよね。なぜ?

【堀江さん】心配で一日中原発事故のことを調べていた。そして、東京も大丈夫か?と思うようになった。そう考えた時に食べ物が心配になった。そして九州しかないと思うようになり、つてもない九州へ来た。移住しなかったら絶対後悔すると思ったんだ。
弟は福島で教師をしている。彼は仕事もあり動けないと言った。他方、フリーで仕事をしている私は動ける状態にあった。

現在の取り組みの一つにガイガーデバイスの開発がある。今まで数回福島に戻ったが、改めて開発したデバイスを持って福島に行くと数値が上がっていくのを見ると怖さを感じる。怖さを実感できるツールだ。北九州でがれきを受け入れるという話があるが、このツールを使って24時間監視するなどの提案をしたい。
外国製デバイスの多くはコバルト60を基準としているが、福島第一原発の事故があった日本の現状にあっていない。そう思ってセシウム用の高感度デバイスをつくろうと考えた。放射線は朝昼晩でも違いランダムに出るので、平均値で考えるべきだ。ラドンガスなどでも上がるし、モーターやPC、電子レンジなどの電磁波でも上がる。

この原発放射能の問題は政治やイデオロギーの問題じゃない。生命の問題だ。インフルエンザや交通事故なんかと一緒だ。健康被害の問題ではなく人権の問題だ。

法の下の平等って中学で教えてもらうけど、本当だろうか、福島の人は法の下に平等だろうか。福島の人は見放されたと思っている。ゴミを庭に投げられたようなものだ。がれきの広域処理をという話があるが、東北の人は誰1人そんなこと言っていない。
がれきの処理をして欲しいとは思っているが、外へとは思っていない。他の地域の人に迷惑をかけてまでして欲しいとは思っていないんだ。どうせ放射能まみれだから地元で処理しようと思っている。被災者の要望だと言っている人たちに腹立たしく思っている。それよりも仕事が欲しい。
18歳の女の子が仕事がないからとがれき処理をしている。時給2千円以上だというんだ。たしかに仕事はあるが、圧倒的に単価が安い。
がれきが復興の妨げと言うが、それだけじゃない。一番の妨げは放射能なんだ。漁業を再開しても魚が売れないんだ。

今まで仕事に関係するからと言って黙っていた。しかしそうしていたら結局痛い目にあう。政治と宗教の話はタブーと言われていたが、放射能のことも同様だった。核拡散防止法、原子力規制法はなんのためにあるのか、安全に生きるため、人権を守るための法だ。その安全、人権が脅かされている。
原発という一瞬で生活を壊すことが出来る存在があること自体が悪だと思う。北朝鮮にもこんな脅威はない。脱原発は危機管理の問題。1基の原発の事故でこれだけの被害が起きる。広い福島県をよくこれだけ汚せたなと驚く。100%大丈夫な機械なんてない。